大ナゴヤ大学共催!『郡上カンパニーと共に「根っこのある生きかた」をつくろう!』

こんにちは、郡上カンパニー取材班の田中佳奈です!
今回は、「ナゴヤのまちがまるごとキャンパス」を掲げ、授業を通じて受講者とまちとの新しい“つながり”を生み出している大ナゴヤ大学さんとの共催で、『郡上カンパニーと共に「根っこのある生きかた」をつくろう!』の授業を実施してきました。

会場は、国際センター駅の北にある円頓寺商店街内の「喫茶、食堂、民宿。なごのや」さん。

郡上カンパニーの第一期、第二期メンバーも7名が駆けつけ、定員30名を超えるたくさんの方々の前で、プロジェクトやまちに寄せる想いなどをぎゅっと凝縮してお話ししました。

郡上カンパニー事務局の田所さんよる郡上カンパニーの紹介

アイスブレイクは各グループともテンションが高い!

本レポートは全体の一部にはなりますが、郡上カンパニー・ディレクター平野彰秀さんと、郡上カンパニーの仲間たちとのトークセッションの様子をお届けいたします!

■セッション1 移住してもうすぐ1年!郡上カンパニー第一期共同創業パートナー

はじめに壇上に呼ばれたのは、第一期共同創業パートナーであるお二人。「都市と農村をつなぐ『どぶろく文化発酵人』」プロジェクトの小野木淳さん(左)、そして「郡上手しごと会議」の諏訪裕美(ゆうみ)さん(右)です。

郡上に移住して間もなく1年、というお二人に与えられたテーマは、「全然知らなかった郡上に、どうして関わることになったのですか?」

小野木:僕は東京の国立でマクロビのお菓子屋さんをやっていました。多種多様な人との付き合いの中で“郡上には面白い人がいるぞ”って、前から噂にきいていたんです。

再び郡上のことをピン!と思い出したのは、子育てが始まった時でした。当時住んでいた家は、ドアを出たらすぐに道路があったので、本当は子どもに好きなように外で走らせてあげたいのに、いちいい「危ないよ」って言わないといけなくて。それが苦痛だったんです。郡上の自然いいな、人の雰囲気もいいなって気になりました。

実はおじいちゃんが郡上に住んでいて、そう気になり始めたときに彼が事故をし、免許を取り上げられてしまったんです。「足がなくて、山から降りられないから誰か戻ってこい」と声がかかり、僕は「戻りまーす」って(笑)なんだか全てがいいように重なり、今に至ります(笑)


諏訪:私は郡上を何で知ったか記憶は定かでないんですが、「石徹白洋品店」のことは元々知っていました。9年ほど福岡県の天然染料だけを扱う染物屋さんで、草木や藍などでお洋服を染める仕事をしていました。

天然染料といっても工場での勤務なので、植物そのものから染め始めるわけではなく、“染料”としてカタチを変えたものを扱うのです。乾燥済みの植物の根っこや、色素がでる実の部分など、本来の姿はわからないんです。

それらを調合して思うような色をつくりだすことはできるようになったのですが、次第にそれらの植物は一体どこに育つのか、いつごろどんな色の花が咲くのか、と染料の元である“植物”のことが気になり始めたんです。もちろん調べることはできるのですが、暗記して覚えるというより、実際に植物に触れられるような山に近い環境にうつりたいなという気持ちが募ってきたんです。

学生に戻るためにも会社と数年相談を重ね、やっと退職も決めたその3日後くらいに、なんと郡上カンパニーの募集を目にし、「やってみたいことが全部あるじゃん!」と飛びつきました。

二人の話に聞き入る参加者

平野:今はどんなことをしていますか?移住して1年が経ちますが、どうですか?

小野木:母袋(もたい)という集落で、都市と農村をつなぐプロジェクトをしていて、現在は拠点づくりのために農家民宿をつくっています。

ここ半年は、“仕事と遊びは何が違うんだろう”って、その境界が曖昧になってきています。思えば、東京では自分らしさを追求するためは、お金を出さないと何もできないし、得られなかった。それでも飛び回ってましたが、そうしても得られなかったものが郡上にはめちゃくちゃある。やりたいことがどんどんみつかる。結果、楽しいことばっかりというか(笑)

基本的に僕は、自分ひとりで作るより、みんなで作ることを大事にしたい。“生きる”とか“人間という感覚”を求めるというのをみんなで共有しながら、創造していくというか。

平野:小野木くんのフィールドには、いろんなところからリノベーションやワークショップに参加しにくるような場所になってきています。

諏訪:郡上には生活を自分の力でまかなう人が多いんです。そんな土地柄、手仕事が好きな人が多く、買うものだとされてる服も、縫いたい、染めたいというふうに、“自分でつくりたい”と声があがる。そんな人たちによる「郡上手しごと会議」というサークル活動が数年前から始まりました。

活動の中で、「別の仕事の隙間をぬって手仕事をするのでなく、好きなことでお金に繋げていくことができたらいいな」という声が大きくなってきたので、現在は郡上カンパニーを通じて、趣味を超えて仕事にしていこうとしています。

そこで私は、一人ひとりにヒアリングして、得意分野を見極めたり、スキルアップの機会提供をしたりしながら、また、複数の人たちのスキルをどのように持ち寄ればいいか考えながら、売れる製品をつくるお手伝いをしています。

開発した商品をスライドで紹介する諏訪さん

石徹白(いとしろ)に住んで8ヶ月。自然がすごい綺麗というとありきたりなんですが、紅葉の様子が日に日に変わるのを感じたり、雪が降ってまた雰囲気が変わったりして、“綺麗だな”って思う瞬間が常に訪れるんです。自分が綺麗だと思う基準が上がっているのを感じます。

 

■セッション2 移住して10年以内のベンチャーパートナーの挑戦!

次に、現在共同創業パートナーを募集しているプロジェクトの担当者(ベンチャーパートナー)3名の登場です!1人目は「地域で育(しと)ねる、明宝ジビエブランド化プロジェクト」の元満真道(もとみつ・しんどう)さん(左)、2人目は「地域のニーズで空き家活用。八百屋つき下宿プロジェクト」の木村聖子さん(中)、3人目は「踊りの町に新たな産業を。郡上メイドな鼻緒プロジェクト」の吉澤英里子さん(右)です。

この3名も実は全員“移住組”。移住して10年以内の人たちです。テーマは、「移住したきっかけは?そして、これからのプロジェクトではどんなことをしていきますか?」

元満:福岡で自然体験の仕事をしていました。インストラクターって道徳の先生みたいに、「心のつながりを大事にしましょう」とかごもっともなことや気持ちのいいことをいうんです。でも、実際に自分で命を捌いてみたときに、“命”とか“絆”とかを簡単にわかったつもりでいたなと感じて。他にも、食品がたくさん捨てられる日本の現状などもあって、食べることを見つめ直しました。

郡上は獣害がひどいです。例えば、次の日収穫予定だったお野菜が、朝見てみたら動物たちに引っこ抜かれてなくなってるとかも聞きます。ハウス一面ですよ。これって、農家にとっては死活問題です。

猟師さんが頑張ってとってくださって、多いときには3ヶ月で1000頭以上になることもあるけど、その命は全部捨てられてました。その死体の山をみたときに、その場でうずくまってしまうくらいの心に来るものがあって、“これは食べんといかんな”とか、“内臓も何かに使わないといけないな”って、ジビエの消費のエコサイクルを作りたいと思ったんです。一般的に3%ほどといわれるものが、明宝では20〜25%くらいまで上がってきました。

地域らしさを心を乗っけてストーリーと作ってキランと光るものを作っていきたい!山で地道に動的に活動できる人を募集しています!
(元満さんのインタビュー記事はコチラ

平野:ジビエ肉には厳しい規定があって、止め刺しをしてから一時間以内に処理を完成しないといけないんですよね。今まで明宝の人にとってジビエ肉は美味しいものではなかったのですが、元満さんの捌いた肉は“本当にジビエ肉か?”というほど、すごいクオリティのものになっています。

木村:「郡上おどり」で有名な八幡町でゲストハウスをやっています。生まれ育った青森から東京に出て働いていたとき、10年後に東京で過ごしている自分を描けなかったんです。東京じゃない別の場所を探し、縁のなかった“山”へといこうという気持ちで岐阜に、そして郡上にたどりつきました。

やりたいことは、地域の人が求めていることと、移住してきたい人が求めていることを叶える場をつくるということ。自分自身が郡上に住むにあたって住む場所の確保という点で苦労したので、これから郡上に興味を持った人たちがもっと気楽に住めるよう、きっかけの場を作りたいと思っています。
(木村さんのインタビュー記事はコチラ

新しい挑戦への意気込みに会場の熱も高まります

吉澤:スノーボードが好きで郡上にいます(笑)今は雑貨屋とカフェを2軒運営しています。郡上に移住希望だった現スタッフの“冬は滑りたいけど、夏は商売したい”という要望を実現しようと仕事をつくりました。

「郡上おどり」が行われる8、9月中はたくさんの人が踊りにきます。ある下駄屋さんに聞くと、お盆期間中は1晩に100足くらいの下駄を挿げるらしいです。年間だと3000足くらいです。みなさん、下駄には、鼻緒がついてますよね?なんと、この鼻緒は全部県外から仕入れているか、製作を委託しているんです。「え、なんで作らんの?意味わからん」という感じです(笑)

岐阜は繊維の町でもあり、その名残で家庭にミシンがある人が多いです。とりあえず目の前にマーケットがあるんだから自分たちで作ろう!というのが私のプロジェクトです。このマーケットでは一人しか食べられないので、これからは販路を広げていったり、新しい素材や製品をつくるディレクションしていこうと思っています。
(吉澤さんのインタビュー記事はコチラ

 
■ セッション3 郡上に住んで20、30年!これからチャレンジしたいことは?

最後に登場するのは、同じく現在、共同創業パートナーを募集中の、「おかえりツアー開発プロジェクト」の由留木正之さん(左)と「持続可能な秘境をつくる!明宝小川プロジェクト」の西脇洋恵さん(右)です。

このお二人はいわば、ベテラン移住者!?郡上にきて25年ほどがたった今、新しい挑戦をスタートさせていらっしゃいます!

由留木:神戸でバイク屋さんをしてました。バイクが好きでなのに、自分に嘘をつきながら働いていることに、とにかく嫌になった時期があり、カヌーを持って旅に出ました。そこで最後に辿りついたのが郡上でした。

もう27年近く、家族とともにヤギを飼ったりしながら自給自足して暮らしています。郡上の師匠たちからいろんなことを教えていただきました。なんというかね、本当に僕、「ああ、幸せやった」って死ぬ自信あります。今回のプロジェクトは、今の僕をつくってくれた師匠たちに、ちょっとでも恩返しがしたいというのが本当のところです。

実は、郡上に移住してからは自然体験やツアーの仕事をしてきました。あとからくる人たちに、なんとか郡上の遺伝子=僕が幸せでいる秘訣のようなものを分けていきたいというのが根幹にあります。これまでのプログラムだと、どうしてもサービスの対価として消費されてしまうんです。僕の郡上を知ってもらいたいのに、ちょっと違うものになるんです。

僕の周りには4,50人の若い子や移住者がいて、もともとそういう子達が“死んだ魚の目”をしていたのが自然の中を案内することで、どんどん元気になっていく様子を見て、僕も必要とされながら郡上で暮らしていくことが可能なんだと実感がわいてきました。なんとか、事業というカタチにしていきたいと思っています!

(由留木さんのインタビュー記事はコチラ

2人の掛け合いに会場からも爆笑がおこる

西脇:25年ほど前にケニアで青年海外協力隊をしていて、その時に今の主人と出会いました。主人の実家が明宝地域の小川という集落だったんです。ビスターリマームという活動を通じて、伝統食や郷土食を発掘したり、食体験の提供をしています。

今回、プロジェクトを立ち上げたのは、お世話になっている集落の人たちが、何百年も守ってこられた小川という里を守っていきたいと思ったからです。空き家がどんどん出てきているので、それらを利活用して新しい仕事を作っていきたい。

私自身がこれまでに地域で積み重ねてきた食育活動やグリーンツーリズムの活動、地域のイベントなど様々な経験を生かしたり、つてを頼りながら、限界集落と言われている地域を盛り上げていきたいんです。私の思いもありますが、それ以上にパートナーとしてきてくれる人のやりたいことをサポートしていきたいと思っています。

(西脇さんのインタビュー記事はコチラ

 

一時間で7人の紹介!ということで、かなり端折って話していただくことになりましたが、思いは伝わりましたでしょうか?詳細は活動記事内のインタビューにも掲載しているので、興味を持ったプロジェクトはぜひチェックしてみてください!

会が終了してからも会場から人が帰る気配はなく・・・引き続き談笑や相談などが行われていました!今回の参加者から、郡上カンパニーとのご縁はもちろんのこと、遊びや仕事で新しいご縁があれば幸いです。


また、会いましょう!

 

INTERVIEWER / WRITER / PHOTOGRAPHER

田中 佳奈(たなか・かな)

百穀レンズ フォトグラファー、ライター、デザイナー。 1988年徳島生まれ、京都育ちの転勤族。大学で建築学を専攻中にアジア・アフリカ地域を訪ね、土着的な暮らしを実践することに関心を持つようになる。辿り着いたのが岐阜県郡上市。2015年より同市内にある人口約250人の石徹白(いとしろ)地区に移住し、暮らしやアウトドアをテーマにしたツアー開発や、情報発信を行う。在来種の石徹白びえの栽培にも生きがいを感じる日々。2018年、独立。

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