踊りの町に新たな産業を。郡上メイドな鼻緒プロジェクト

2019年4月からスタートする、郡上カンパニーの第2期共同創業プログラム。現在8つのプロジェクトで、共同創業者を募集中です。各プロジェクトの郡上に住むプロジェクトパートナー(PJP)に順番にインタビューをしていく本連載企画。7人目は、キャリアコンサルタントと2店舗の雑貨屋の経営をされている吉澤英里子(よしざわ・えりこ)さんです。


 
■ 『郡上メイドな鼻緒プロジェクト』の始まり

インタビュー先の『花籠(はなかご)』は、名古屋や岐阜発着のバスが到着する『郡上八幡城下町プラザ』の向かいにある、町家を改装してできたカフェと和雑貨のお店。城下町に遊びにくる女性をイメージした和柄のバッグや下駄、髪飾りなどの小物を販売しています。今年7月下旬に開業したこちらのお店には、現在、吉澤英里子さん(以下、英里子さん)以外に2名のスタッフが働いています。

ベンチャーパートナーの吉澤英里子さん

「店長もスタッフも雪山で見つけてきました(笑)私はスノーボーダーなのでよく山に滑りに行くのですが、その子たちはホームゲレンデで冬だけ篭って働いて滑っていた子たちです。今後は夏も郡上で暮らしたいと言うので、みんなで一緒に仕事作っちゃいました」

その英里子さんの口調は、まるで遊ぶかのように仕事を作り出しているようでした。夏はお店で忙しく働き、冬は存分に山で遊びたいというスタッフの希望を叶える職場環境を整えているそうです。

お店を見渡すと、今回のプロジェクトの主役である鼻緒が並べられていました。英里子さんは、約4年前から鼻緒を作り始めたそうです。

「私、欲しい鼻緒があったんです。イギリスのリバティプリントの生地を使った鼻緒。そう思っていたときに、郡上八幡の下駄屋である『郡上木履』さんがそれを販売しているのを見つけちゃって!店主の諸橋さんに、作りたいけど作り方がわからないと声をかけたら、県外の鼻緒職人さんのところに連れていってもらえることになったんです」

郡上の夏といえば、全国から人が訪れる「郡上おどり」。手ぬぐいと浴衣と共に、下駄も「三種の神器」といわれており、踊り会場では下駄を履いている人が大半を占めます。それだけ郡上にとって、下駄は不可欠なアイテム。それにもかかわらず、鼻緒を作っている人が郡上内どころか、岐阜県内でも見つからなかったといいます。

下駄作りの現状を知った英里子さんは、リバティプリントの鼻緒を作りたいという当初の思いの先をいくビジョンを描き始めました。

「郡上八幡の人気履物店の踊り下駄販売数は、年間3,000足と聞きました。それなのに、そこに挿げられている鼻緒は全部県外で作られていたんですよ!アパレルにいた私からすると、意味がわかりません(笑)。目の前にこんなマーケットがあるのに、なぜ郡上で作らないのかと衝撃を受けました」

英里子さんは、これまでのご自身のアパレル業界での経験を活かせば、できないはずがないと確固たる自信をのぞかせます。

「私、既にカタチあるものなら、物でも事でも、自分で作れない・出来ないはずはないと思っているんです」

英里子さんの考えていることは至ってシンプル。自分たちで使うものは地元で作ろう、そして、鼻緒の生産・卸し・販売まで郡上の中で一貫したラインを作ることで、郡上の外に出ているお金を郡上の中で循環させようということです。

 

■ 自分を生かせる場所を見つけて、働く場所を移ってきた

本業ではキャリアコンサルタントをしながら、雑貨屋も経営、これらに加えて今後は『郡上メイドな鼻緒プロジェクト』にも着手していく英里子さん。「だって、そこにやれることがあるんだもん。できるのにやらないなんて、もったいない」という、その言葉のとおり、次々と自分のやりたいことを実現してきた英里子さんの生い立ちを伺いました。

岐阜市生まれの英里子さんは、雑貨や玩具を扱うお店を営む両親の元で育ちました。

「お小遣い以上の値段のするものを親に買ってもらうという感覚がもともとなかったんです。自分で使うものは自分で稼いで買うものだと思っていて、高校の時はバイトばっかりしてました」

高校は県内のアパレルデザイン科に通い、ファッション漬けの日々を送った英里子さん。そこで恩師から口すっぱく言われていたことは、今でも大事にしているそうです。

「課題をするのに描いたり縫ったりするんですけど、その度に『はい、仕事して〜』って言われるんです。『作業じゃなくて、“仕事”をしろ』って3年間言い続けられてきました」

例えば、ものづくりの場合、言われた通りにつくるだけではなく、作っている段階でお客さんの手に渡るところを想像できるかが肝心なのだとおっしゃいます。

「昨日と何が違うか、一昨日と何が違うかって、ほんの些細なことに気づけるのが“仕事”だと思うのね。作業意識でやっていると、ミスを見過ごしてしまうこともあります。仕事とはクリエイティブなものだと教わりました」

高校卒業後の進路は、志望校があったものの都会に行くことに親の賛成が得られず断念。ならば、まずは働いて学費を捻出しようと就職。英里子さんが選んだのは、服飾系の企画営業の仕事でした。ファッションの企画デザインと営業の両方ができる環境にすっかりハマったという英里子さんは、営業成績をどんどん伸ばしていったそうです。

社会人6年目となった1998年は、長野オリンピックの年。就職してからも続けていたスノーボードを、もう少し上達させたいという気持ちが芽生えた英里子さんは、会社に休暇を申請し、3日間のスノーボードキャンプに参加しました。

「仕事に満足しちゃっていたんでしょうね。山でオリンピック選手やプロに出会って、彼らの滑り方や生き方に触れた時にふと『会社辞めよ』って思ってしまったんです。(笑) 22歳だったので、本気でスノーボードするには今しかないなって」

休暇明けには会社を辞め、翌シーズン、スノーボードインストラクターとして郡上の雪山で働きながら冬季リゾートでのキャリアを積みます。その後、英里子さんはその経験を生かし、人材サービス会社の設立から運営に至るまで、様々な仕事に携わりました。

そして2006年に結婚、2人の子どもにも恵まれ、プライベートも充実していったそうです。復帰後は人材サービス会社での経験を元に、若年無業者の就労支援の仕事に携わるようになりました。2011年には、国家資格であるキャリアコンサルタントを取得し、仕事の幅をさらに広げていったそうです。その柔軟な姿勢について聞いてみると、

「やりたがりなんじゃないですか?(笑) そもそも、仕事そのものに『大変』という考えを持ち合わせないので、仕事自体がどれも楽しすぎるんです。『ワークライフバランス』って、仕事と私生活の調和と言われるけど、私にとってはそもそも仕事がライフワークになっていて、ただただ働くことが好きなんです。

ちなみに、精神的なしんどさは、大体お酒飲んで寝たら治ります。(笑) この間も、地球の裏側まで凹んだわ!って思うことがあったんですけど、翌日には治ってました。(笑)」

そういいながらも、子育てや趣味のスノーボードも仕事に妥協することなくされている英里子さん。思いきりのいい語り口調の中で浮かび上がる生き生きとした表情が、とても印象的でした。

東京のイベントにてプロジェクトを紹介し、 共同創業パートナーを呼びかける英里子さん

■ 誰かを幸せにしたいなら、まず自分に一番近い人から順番に

『郡上メイドな鼻緒プロジェクト』もすでに英里子さんの楽しみの一つ。プロジェクトのこれからの展望を伺いました。

「3年後には、自分たちが手がけた鼻緒を3店舗以上の履物店に卸すことを目標にしています。また郡上には、シルクスクリーン、藍染、さをり織り、鹿革など素晴らしい素材も豊富にあるので、そう言った“メイドイン郡上”な素材を積極的に活用しながら、新たな踊り小物を開発し、郡上ブランドを作っていきたいです」

さらに、

「5年後には、踊り会場で履かれている下駄の鼻緒の生産地を、全部、郡上産に変えたい!このプロジェクトはそこに向けてのスタートだというつもりで始めています。実現可能なものだと思っていますよ」

もともと、郡上に落とせるはずのお金が全部外に出ていることに「もったいない」と思って始めたプロジェクト。手作業の多い鼻緒づくりを通じて、英里子さんはまず“私から10キロ圏内の人たち”に小さなお金を落としていくと意気込みます。

「誰かを幸せにしたいんだったら、まず自分や、自分に近い人が幸せになっていくことが大事だと思う。それが段々とみんなに広がって行くと思うのね。まずは、内職の仕事を作ります」

仕事でもプライベートでも様々なコミュニティに出入りしている英里子さんの頭には、子育て中の女性や高齢者、障がい者など多様な人たちが思い浮かんでいます。

「仕事できずに困っている人とか、自分らしい働き方ができない人もたくさんいます。働き方にも多様性があって欲しいと思うので、このプロジェクトを通じて、そういう人たちが働く機会を手にできるといいなと思っています。

特に、今回のプロジェクトで鼻緒づくりを“地場産業”にしていきたいと思っているので、それだと結構な人が携わっていないといけないと思うんです。私が独占するのではなく、本気でやっていきたい人には教えていきたいし、将来的にはみんなで作ればいい。その中で、あらゆる人たちが多様的に働ける環境を整えていくことが大事だと感じています」

■ 共同創業パートナーを募集中!

英里子さんは現在、『郡上メイドな鼻緒プロジェクト』の共同創業パートナーを募集しています。

「私は人がやりたいと思っていることに対して、背中を押せるタイプだと思いますよ。キャリアコンサルティングの芯の部分は外しません。パートナーさんになってくれる人の大事にしていること、働く上で譲れないことも、応援したいと思っています」

商品に対するセンス、縫製技術や生産知識など細かく求めることもありますが、英里子さんが最終的に一緒に働きたいと思うのは、「楽しい人。それから、レスポンスの良い人」。地場産業を作っていくという志に、少しでも気になった方はぜひご応募ください。

最後に、英里子さんからのメッセージを紹介します。

「郡上は自己実現ができる街だと思っています。正直言って“ないもの”はたくさんあります。けれど、ないからこそ私たちが作り上げていくこともたくさんあるのです。助けてくれる人もいっぱいいます。踊る文化を楽しみ、ものづくりを楽しみ、それに生まれるコミュニティを一緒に楽しみましょう!」

プロジェクト詳細はコチラ:踊りの町に新たな産業を。郡上メイドな鼻緒プロジェクト

 

PROJECT PARTNER

吉澤英里子(よしざわ・えりこ)

1975年岐阜市生まれ。スノーボードと郡上が大好きで、郡上に移り住み10年。四十路を過ぎても飽き足らず、今シーズン滑走日数目標は30日!ツンデレ小6息子と、超楽天家の小4娘と楽しく暮らしています。独身時代アパレルでの経験を活かし9年ほど前から子育て期女性の支援としてハンドメイド雑貨の委託販売や、イベント企画などに携わっています。本業はキャリア・コンサルタント。(といっても月8日しか稼働しません。笑) 他、雑貨&カフェの運営、ファシリテーター、司会など、イキイキと自分らしく、働くこと・暮らすこと・遊ぶことを大切に、活動しています。

INTERVIEWER / WRITER / PHOTOGRAPHER

田中 佳奈(たなか・かな)

百穀レンズ フォトグラファー、ライター、デザイナー。 1988年徳島生まれ、京都育ちの転勤族。大学で建築学を専攻中にアジア・アフリカ地域を訪ね、土着的な暮らしを実践することに関心を持つようになる。辿り着いたのが岐阜県郡上市。2015年より同市内にある人口約250人の石徹白(いとしろ)地区に移住し、暮らしやアウトドアをテーマにしたツアー開発や、情報発信を行う。在来種の石徹白びえの栽培にも生きがいを感じる日々。2018年、独立。

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