<インタビューvol.11>風土を伝える酒造りをめざして(深尾和代/日置義浩)

2018年からスタートした郡上カンパニー「共同創業プログラム」。中の人と外の人がつながりながら、郡上を舞台に数多くの挑戦が進行しています。昨年度で第3期が終了し、現在も合計7プロジェクトが進行中です。
本シリーズではプロジェクトを進める人たちに焦点をあて、郡上で挑戦するみなさんへのインタビューを通して、郡上カンパニーの今を伝えます。


今回のインタビューは、第3期の4組め「ひらかれた蔵プロジェクト」の移住者(VP)深尾和代(ふかお・かずよ)さんと、事業発案者(PJP) 日置義浩(ひおき・よしひろ)さんのお二人。深尾さんはプロジェクトに参加する以前から、平野醸造主催のイベントに参加をし、郡上に通っていたそうです。郡上カンパニーでの挑戦をきっかけに郡上に移住。日置さんと共に本格的に酒造りに携わるようになりました。プロジェクトを終えた今、お二人はどのように感じているのでしょうか。3年間の振り返りと、これからのチャレンジについてお話を聞きました。

平野醸造の酒蔵にて

 

興膳)まず初めにこのプロジェクトの概要を教えてください。

深尾)このプロジェクトは、日置杜氏がこの平野醸造という酒蔵を「開かれた蔵にしたい」という想いから始まったプロジェクトです。お酒のブランディングからチャレンジが始まり、現在までに「一から百酒」と「郡上風土酒」というお酒がリリースされています。

 

興膳)日置さんの「開かれた蔵」に対する想いのきっかけは何かあったんですか?

日置)3.11の後に、たまたま出会った酒蔵が、みんなでいろいろ検討し合いながら酒づくりをやっているような場所で、そういう蔵に魅力を感じて、郡上でも実現しようと思って取り組み始めました。

 

興膳)深尾さんとは元々つながりがあったということですが。

日置)最初の蔵開きのときに初めて会って、その次の年に田植えのイベントにも来てくれたりして、ちょこちょこ会ってたりはしてましたね。

興膳)深尾さんは、日置さんと会った時ことを覚えていますか?

深尾)蔵開きの時に中を案内してもらって、その時に日置さんから今後のチャレンジの気持ちや、お話も聞けて、これからとても楽しみな蔵だなという印象を受けました。それから、蔵開きのイベントでは、地元の方や移住者の方などたくさんの方が関わって大きなイベントがつくられていて日置さんの求心力をすごく感じました。

 

興膳)深尾さんのやりたかったことの一つに、《木桶の酒づくり》があった思うのですが、それについてお話聞かせていただけますか?

日置)自分は反対でした。木桶でどぶろくなんかもつくったことがあって、木桶でつくると酸が強くなるのが目に見えていたので、最初は反対だったんです。自分的にはあんまり酸の強いお酒が好きじゃないですし……。まあ押されて、押されて、押されまくって何とかつくるようになってたって感じです。

深尾)郡上カンパニーの共創ワークショップに参加していた頃の話ですが、日置さんが飲み会の席で急きょ「やるか!」と決断してくれて。それをきっかけにとんとん拍子でリリースができる形になりました。ワークショップでは、まずは妙見神社(大和町・牧)に眠っていた小さなお神酒用の木桶でつくらせていただいたっていうのが最初でした。


平野醸造の2階に眠っていた木桶を修繕して酒造りがスタートしています

 

興膳)なるほど、そこがスタートだったのですね。それをブランドにしていった経緯、名前に込めた思いなどを教えていただけますか?

深尾)まず、今お話ししていた木桶のお酒を使った「郡上風土酒」に関しては、平野醸造に眠っているような菌やこの土地にいる菌の力をつかって、風土を表せるようなお酒をつくっていきたい。そういった思いから当時一緒に立ち上げ、メンバーである方々とも相談して「郡上風土酒」という名前をつけました。

もう一つのブランドである「一から百酒」に関しては、2つの意味を込めていて、一つはお米づくりから酒造りの工程まですべて郡上でおこなっているということを表現した1から100という意味。もう一つは、大和町が和歌の里ということで、百人一首の「一から百首」と掛けてネーミングさせていただきました。

 

興膳)プロジェクト全体を通じて「ひびき合う酒造り」というキーワードが出てきていますが、「ひびき合う」とは?

深尾)現在進めている「HI TSUKI GOSEI(日月五星)」というブランドで、「ひびき合う酒造り」という言葉を掲げてやらせていただいてます。「ひびき合う」とは、唄ですね。先ほども触れたように郡上大和は和歌の里なので、お米づくりから酒造りまでの工程の中で、唄をとりいれています。例えば、お米を植えたりする時も、田植え中は、《田植え唄》。そして、酒造りではお酒ができてていく工程で《祝唄》を歌います。唄で響き合いながら、お酒ができていく工程をみんなで楽しんでいけるような形で進めていきたいと思っています。地域の文化や歴史、土地や自然、人がお互い関係し合って響き合うような酒造りをしたい。そんな想いを込めています。

《田植え唄》が響く風景

 

興膳)日置さんはスタートと同時にコロナ禍で思うようにいかなかったこともあったとは思いますが、3年間を振り返ってみてどうでしょう?

日置)言われた通り、始めてすぐにすぐコロナ禍になっちゃってね。もう活動したくても活動できないし、うちの酒蔵自体も生産量が下がっちゃったりして、実績もなかなかあげられずに非常に大変な3年間でしたね。

 

興膳)深尾さんは蔵人としても携わったわけですけど、3年間やってみてどうでしたか。

深尾)慣れないことの連続であって、それが楽しいようで、大変でもありました。でも、何とか波に乗ってここまで来れたのかなという印象です。
最初にこちらに来たばかりの時に、5年後、どんな状況になっていたいかみたいなことを考えて書いたことがあったのですが、最近振り返ると、何となく当初思い描いたようになっているので、驚いてます。

 

興膳)郡上カンパニーのプロジェクトとしてはこれで一旦終わりとなりますが、これからやってみたいことがあれば教えてください。

深尾)まずは酒造りの技術の習得をやっていきたいなと思うのがひとつ。そして、現在ブランディングさせていただいているお酒をより育てていくということをやっていきたいです。そして、平野醸造の「母情」に関しても、一緒にリブランディングも含めてていねいにで進めていきたいなと思っています。

それと、「一から百酒」に関しても、風土性を出していく部分をもう少し進めていきたいと思っていて、この土地ならではの味を、この土地から採取した土の酵母を使って出せないかということで、どんな酵母がいいかをお酒の組合の方とも相談しながら研究を進めています。

 

興膳)日置さんはいかがですか?

日置)今年までは、郡上で生産している酒米は「五百万石」だけだったんですけど、来年からもう1種「ひだほまれ」をテスト的につくる予定ですので、またそれも広がればと思っております。

 

興膳)深尾さんは蜂蜜酒にも挑戦したいそうですが、どんなものなのでしょうか?

深尾)現在研究開発段階ですが、郡上の7町村の養蜂家たちと協力して、郡上にいるニホンミツバチの集めた蜂蜜をつかった蜂蜜酒をつくりたいと思っています。たぶんほんの少量しかできないと思うんですけど、飲む人が郡上の風景を感じられるようなおいしいお酒ができるといいなと思っています。ニホンミツバチが棲むことのできる環境保全も含めて、地域を盛り上げていきたいですね。

 


新しいことにどんどんチャレンジしていく深尾さんと、それをおおらかに応援する日置さん。開かれた蔵に吹き込んだ深尾さんという新しい風が、日置さんの想いや土地と響き合いながら、目標を形にしていっている印象を受けました。映像コンテンツでは、酒造りの様子も交えながら、お二人のプロジェクトの詳細をお聞きしています。>>>

(2023年3月 取材:興膳健太 構成:鷲見菜月)

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