郡上イチゴをブランド化 イチゴ観光農園プロジェクト

2019年4月からスタートする、郡上カンパニーの第2期共同創業プログラム。現在8つのプロジェクトで、共同創業者を募集中です。各プロジェクトの郡上に住むプロジェクトパートナー(PJP)に順番にインタビューをしていく本連載企画。4人目は、イチゴ農家・籾山雄太(もみやま・ゆうた)さんです。


  
■ 岐阜のイチゴ作りの北限で甘く強く育ったイチゴ。その可能性を広げる観光農園をつくりたい

名古屋から車で約1時間。郡上に入って最初にみえる町が、美並町です。郡上といえば、冬になれば深々と雪がつもり、スノーボードなどのウィンタースポーツで賑わうイメージがある中、美並町は郡上でも比較的暖かな地域で、『郡上のハワイ』とも言われています。

「暖かいとはいっても、イチゴの特産地から見ると、ここは寒冷地です。そこであえて暖房を抑えたり、化学肥料を使わずに栽培しているので、ここのイチゴは生命力にあふれていて、甘味がぎゅっと濃縮されておいしいんですよ」

案内してくれたのは、就農して5年目になるイチゴ農家の籾山雄太さん(以下、もみさん) 30アール程ある農地に作付けされたイチゴを、郡上市内を中心に、個人やケーキ屋さんなどに販売されています。試作中のイチゴジェラートも好評で、地域の中で愛される存在になってきました。これから新たに“イチゴ狩り”を始めるそうですが、きっかけは何だったのでしょうか?

「郡上の人たちから、『イチゴ狩りをやらせて欲しい』って、毎年言われていたんです。子どもがいるご家庭は毎年、静岡や知多にまで行ってるみたいで、そんなに遠くまで出かける程人気なんだったらここでもやってみようかなって。

それから、暖かくなる4月頃には毎年採りきれないほどたくさんのイチゴができるんです。イチゴ狩りに来てもらえたら、熟れるすぎる前の一番美味しいものを食べてもらえるというのも大事な点でした」

郡上は年間600万人もの観光客が訪れる観光地。郡上が得意な観光業と、衰退している農業とを組み合わせてできることとして、もみさんが思いついたのがイチゴ狩りのできる観光農園だったのです。

 
■ 誰もやっていなかった「イチゴ」で就農

これからの展望を語るもみさんですが、農業を始めたのは5年前。もみさんがイチゴ農家になった経緯を伺いました。

もみさんが移住当初に携わっていたのは、地域おこしや自然体験事業。仕事にも暮らしにも慣れようとしていた3年目、同年代が次々と起業や独立していく姿を見ていて、自分の軸は何かと向き合ったそうです。そこで出した答えが、農業だったのです。仕事を辞め、翌年から岐阜県可児市の農業大学に通い始めます。

「トマトは白鳥町とかの高冷地で育ったものには勝てないなと思ったのでやめました。イチゴは、秋イチゴなら郡上でも高鷲町でつくっている方がいますが、春イチゴはやってなかったんです。誰もやっていないんだったら、その方がいいかなって」

経緯を淡々と語るもみさんでしたが、当初はいろんな人から反対されていたといいます。

「大学の先生や、農業振興の担当者とか、あちこちに相談しにいったんですけど、大概、『無理!』とか、『難しいんじゃないか』って言われました。その時にはもう、美並町でイチゴ農園をやるって決めていたので、とにかくやるしかないって感じでしたよ」

2013年に就農し、栽培を開始。生産量は少ないものの口コミで評判が広がり、「もみーイチゴ」と親しまれるようになりました。郡上八幡のカフェなどでは、もみさんのイチゴを使った期間限定スイーツやドリンクも提供されています。

もみイチゴを使ったショートケーキ(写真提供:糸カフェ)

「でも、毎年『足りない』と言われています。いちごの産地と比べると、生産量はまだ遠く及ばないので、同じくらいのレベルまでには到達させたいですね。そこまでいけば、“郡上でもできたやないか”って言えるんで」

豊作に喜ぶ年もあれば、台風の影響を受けて満足に作付け量を確保できない年もあったそうです。この5年間を振り返り「真面目になったかもしれないですね」と、もみさんは自分自身の変化を言葉にします。

「じっとできないタチなので、基本どこかに出歩いてたんです。イチゴを始めてからも昼間に出かけたりしてました。案の定、作業が遅れていくので毎年『これじゃダメや』の繰り返し。土地やハウスも借りてるし、イチゴでやっていこうと思うのなら、ちゃんと来て面倒見たらなあかんなって」

 
■ 雄大な自然に囲まれた生活で、人生の楽しさを味わった

もみさんに感じるのは、“肩肘張らない”自然体なリーダーシップ。そして、誰からも可愛がられそうな親しみやすい雰囲気。それらがどこから来るのか、もみーさんの生い立ちについて聞いてみました。

もみさんは兵庫県神戸市生まれ。3人兄弟の長男として育てられました。お父さんに教わった海釣りが大好きで、小学生の頃は毎週のように海に出かけていたといいます。放課後には居残りをさせられるほど勉強が苦手だったそうですが、体育だけは誰にも負けない少年でした。そんなもみさんにある日、小・中学生時代の過ごし方に大きな影響を与えるきっかけが訪れたのです。

「テレビで“山村留学”という仕組みがあることを知ったんです。その時、僕は釣りとサッカーにハマっていたので、島の学校にいけば毎日それができるんじゃないかって想像して、これは行くしかないなって(笑)」

そうして、小学校6年生の時には愛媛県松山市の離島の学校で、中学2年生からは北海道美深町の学校で山村留学を体験。子どもらしい理由といえばその通りですが、若干11歳にして親元を離れるというのにあまりに気軽な動機!寂しさよりも、ワクワクした気持ちで毎日を過ごし、「とにかくよく笑っていた」と、愛媛の里親さんとの暮らしの一面を紹介してくれました。

「毎週金曜日の朝は、学校に行く前に週末の釣りのための餌を採りに行っていました。家から歩いて1分の砂浜で、ミミズを掘るんです。土曜日と日曜日は朝3時に起きて、漁師さんと船に乗って網上げに行くんです。毎週それの繰り返し。周囲が海で、おまけに里親さんは漁業協同組合の組合長さん。楽しくないわけがないですよね」

中学卒業後は、北海道名寄市の高校の酪農科に進学。多感な10代の大半を、雄大な自然に囲まれた場所で過ごしました。自分が純粋に楽しいと思うことを追求した生活は、自分の力で人生の可能性を広げる原体験となっているといいます。

その後、地元神戸で専門学校を卒業し、就職。都市生活にだんだん疲れて来たというもみさんは仕事を辞めたタイミングで、郡上に移住した同級生の元を訪れます。これが、もみさんの郡上との出会いでした。

「郡上に移住するつもりはなかったんです。なんとなく、居着いちゃったという感じでした。郡上のいろんな人と話をしたり、一緒に自然体験をしたりして、こっちの人面白いなって思ったんです。都会の人の面白さとはまた違って、なんていうのか、生き様に惹かれるところがありました」

近所のおじさんに呼び出されるもみさん

■ 自分のできることで、美並の農地を守っていきたい

「郡上という土地には、散々お世話になっているんです」

もみさんが長く郡上と関わっていこうと決めた原点は、ここにあります。例えば、農業大学に通うために仕事を辞めたもみさんは、週末のアルバイトの収入だけで生活をしないといけなかったといいます。この状況では、わずかな出費も抑えたいところ。そんな時にお世話をしてくれたのが、郡上市大和町に住む猟師のおじちゃんだったのです。

「平日は可児市で授業を受けて、週末の夜勤だけ郡上のスキー場で働いていました。金曜日の夕方に猟師さんの家にきて、飯食わしてもらって、布団で寝かしてもらうんです。夜12時から次の昼まではスキー場で働いて。帰ってきたら、猟師さんの解体の仕事を手伝って、また夕方が来たら飯食わせてもらって、寝て、またスキー場に行く。そんな生活をしてたんです」

そういう関係が、この猟師のおじちゃんに限らず、あちこちにあるのだと、照れ笑いするもみさん。収穫時期になると、決まってそういう人たちから「すごい量」の発注があるそうです。そうやって応援してくれる身近な人たちの存在が、美味しいイチゴを届ける原動力になっています。

奮闘するのはいいものの、趣味の釣りにも行かない畑中心の生活を送るもみさん。しかし、不思議と趣味の時間を渇望している様子でもありません。

「最近思うのは、今の暮らしが山村留学している頃の感覚に近いなって。自由気ままに好きなことやって、楽しく暮らせているんです」

幼少期に感じていた「楽しさ」を大事にし続けた結果、もみさんは暮らし自体を楽しめるようになったというのです。郡上での10年という月日を経て、もみさんは “余暇を楽しむ”というスタンスから、仕事や地域活動などを含んだ“生業そのものに楽しみを見出す”というスタンスに移行していったのではないかと感じました。もみさんの思い出している「感覚」というのは、山村留学や郡上で惹かれた大人たちの、生業と遊びが融合した暮らしぶりに自分自身が近づいてきているというワクワク感なのかもしれません。

だからこそ、もみさんが今関心を寄せるのは、趣味よりも地域の未来。

「近所でトラクター乗って田んぼしてるのって、80歳とかのおじいちゃん達ばかりなんで、その人たちの身体が動かなくなったら、どんどん農地が空いてしまうんです。まずは自分ができそうなイチゴ狩りを始めることで、この地域の農地を守って行く新しい方法を探したいなと思っています」

もみさんが思い描くのは、今育てている『郡上イチゴ』がブランド力を持つこと。そして、若い人たちに仲間として加わってもらうことです。

「『郡上イチゴ』を求めてお客さんが郡上にくるようになったり、郡上中の飲食店でスイーツが食べられたり、どこにいっても『郡上イチゴ』の何かが買えるっていう状況が生まれると嬉しいですね。そのうち、イチゴをつくる若い人が増えて、ここから見渡せるずっと向こうまで、イチゴのビニールハウスが広がるような風景を見てみたいです」

近所の景色。橋の奥にもみさんのビニールハウスが見える

■目標に向かうためのパートナーを募集中!

もみさんは現在、イチゴ狩りを手始めとした観光農園を始めるプロジェクトを共に進めて行くパートナーを募集しています。もみさんにパートナーのイメージ像を聞いて見ました。

「農業やったことがない人がいいですね!僕と同じようなジャンルの人じゃなくて、不動産とか、為替とか株とかやってましたみたいな、全く違うことに特化してきた人が来てくれたほうが、面白そうだし、相乗効果があるんじゃないかと思ってます」

もう一つ、もみさんがこだわりたい点は以下の通りです。

「人と話をしてる時間を大事にできる人がいいですね。配達の途中で、あっちからもこっちからも地元のおじいちゃんたちに話しかけられることがあるんですけど、時間でスパッと切らずに会話を大事にしてほしい」

プロジェクト詳細はコチラ:郡上イチゴをブランド化 イチゴ観光農園プロジェクト

 

PROJECT PARTNER

籾山雄太(もみやま・ゆうた)

1982年兵庫県神戸市生まれ。小6の時に愛媛県の島の学校へ、中2から北海道の山奥へ2度の山村留学を経験。親元を離れる寂しさよりも、ワクワクした気持ちで毎日を過ごしました。瀬戸内海や北海道の森で遊んだ経験は、自分の力で可能性を広げていく原体験となっています。はじめて郡上を訪れたのは、25歳の時に会社を辞めて同級生を訪ねたとき。数ヶ月の居候をしているうちに郡上に魅力を感じ、移住を決意しました。農業に興味を持ち、2011年から農業大学校に入学。「郡上で誰もやっていないから」という理由でイチゴ農家に。2018年現在、イチゴ農家5年目で経営規模は約30アール。

INTERVIEWER / WRITER / PHOTOGRAPHER

田中 佳奈(たなか・かな)

百穀レンズ フォトグラファー、ライター、デザイナー。 1988年徳島生まれ、京都育ちの転勤族。大学で建築学を専攻中にアジア・アフリカ地域を訪ね、土着的な暮らしを実践することに関心を持つようになる。辿り着いたのが岐阜県郡上市。2015年より同市内にある人口約250人の石徹白(いとしろ)地区に移住し、暮らしやアウトドアをテーマにしたツアー開発や、情報発信を行う。在来種の石徹白びえの栽培にも生きがいを感じる日々。2018年、独立。

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