もうひとつの帰る場所。おかえりツアー開発プロジェクト

2019年4月からスタートする、郡上カンパニーの第2期共同創業プログラム。現在8つのプロジェクトで、共同創業者を募集中です。各プロジェクトの郡上に住むプロジェクトパートナー(PJP)に順番にインタビューをしていく本連載企画。6人目は、自然体験プログラムの企画やアウトドアガイドをされている、由留木正之(ゆるき・まさゆき)さん(以下、由留木さん)です。


 
■ おかえりツアー開発プロジェクトについて

「消費されないツアーをつくりたいんよね」

そう話し始めたのは、約26年間にわたってアウトドアツアーや自然体験の仕事に携わってこられた由留木正之さん(以下、由留木さん)です。

これまでの自然体験ツアーは子どもを対象としてきましたが、最近になって都市部で暮らす若者を郡上の川や山に連れていくことが多くなったという由留木さん。生き苦しさを感じている若者たちが、自然に浸る中で元気を取り戻す場面に幾度となく立ち会ったといいます。

「その子たちはお客さんではなく、『仲間』って言えんねん」

築かれていたのは、これまでのお客さんとの間にはうまれなかった、新しい関係性。この現象に確かな意義を感じた由留木さんは、「こういう子たちに向けてやっていきたい」と、舵を切ることにしたのです。従来の、型にはまった、安くて手軽なイメージを売りにするツアーを超えた、参加者自身が本来の自分を取り戻せるツアーをつくっていく挑戦が始まりました。

職場で無理をして心が摩耗している若者たちを対象とした個人ツアーの開発や、仕事だけでしか繋がっていない会社員を対象としたチームビルディングツアーの開発、また、移住せずとも、郡上に何度も通い、繋がり続けられるコミュニティの運営を通じて、人の価値観を揺さぶらせることができる機会をコーディネートし、一人ひとりが素直な自分を取り戻して行く過程を一緒に伴走していきます。

 
■ 師匠たちに教わる、生きる技術や暮らしの知恵

アウトドアは仕事に限った話ではなく、実は、由留木さんのライフスタイルそのもの。川に入っては魚を獲り、山に入っては山菜を収穫し、畑で野菜を育て、田んぼでお米を作り、ヤギや鶏などの生き物を飼い、時には解体をしてお肉を食べるなど、現在は三人の娘さんと奥様と一緒に自給自足の暮らしを営んでいます。

自宅近くで飼っている山羊と散歩する由留木さん

そんな由留木さんは、神戸近くの兵庫県尼崎市のご出身で、これまでは「ごく普通」の生活を送っていたと言います。今の暮らしに至る原体験はどのようなものだったのでしょうか?

「夏休みになると、祖母の実家の三重県熊野市へ帰省して、自然の中で全力で遊んでました。海、山、川に囲まれてる場所やったもんで、近所の大人や地元のガキ大将が色々連れ回してくれたんです。地元尼崎の記憶は、灰色かほとんど覚えてないねんけど、そこで過ごした毎年の40日間だけ、ずっとカラーで覚えてんねん(笑)あれがなかったら多分、郡上には来てなかったやろなあ」

幼少期から、鮎を釣りにいったり、山に登りにいったりと、五感を通して自然との付き合い方を身につけていった由留木さんは、刺激を求めアクティブな青年期を過ごしました。20歳をすぎた頃にカヌーイストである野田知佑さんの本と出会い、カヌーの虜にされてしまった由留木さんは、すぐさま日本中の川を旅することに。その道中に辿り着いたのが長良川であり、郡上だったのです。

豊かな自然やそこで暮らす人々に惚れ込み、移住。翌年には、当時付き合っていた彼女を郡上に呼び寄せ、結婚生活をスタートさせます。アウトドアショップで働く傍、地元の「師匠」たちから郡上ならではの生きる技術や暮らしの知恵を教わり、徐々に自給自足の暮らしの土台を固めていきます。

「影響された言葉はいっぱいあってな」

師匠に教わったことは、手仕事や生業づくりだけではなかったと、ニヤリと笑う由留木さん。アウトドアショップから独立し、アウトドアガイド会社「アースシップ」を設立した際も、師匠の後押しがあったのだそうです。

「働くとこないなー、って師匠に愚痴をゆうた時に『お前、アホか。仕事なんか自分でつくるもんや』って叱られて。20代やった僕には、全くその発想がなかったから目から鱗やったな。たとえ小さいことであっても、自分の好きなことをやり始めようって思える原動力になったんです」

どこかのお偉いさんではなく、すごく身近な人に言われたからこそ、とても響いたのだといいます。

「もちろん失敗もしてきたし、たくさん謝りにもいった。ある時は、『人に迷惑をかけないで一人前になるやつがおるか』って叱ってくれて。それも、なるほど〜って、目から鱗やった(笑)

町で育ったから“失敗は悪いことや”っていう先入観が出来上がっていて、これまでどう失敗せずに歩んでいくかが一番大事なことやと思わされてきたけど、そうじゃないということが郡上にきてわかったな」

厳しさはあるけど、大切なのは、糧にしていくこと。長年、自然に生かされた暮らしを送ってきた地元の人たちならではの激励に、由留木さん自身も価値観を揺るがされてきたのです。

 
■ 都市部の人たちの姿から、郡上の新たな価値を見出した

「アースシップ」は4年で後継者に引き継ぎ、29歳の年には、現在の職場でもある「山と川の学校」の設立に携わりました。

「子どもから学ぶことがすごく多くて、どんどん楽しくなっていきました。例えば、高い岩から川に飛び込もうとしてるけど、腰が引けてて迷ってたりする子どもがいる。そうしたら、僕らはちょっと言葉をかけてみるんです。なるほどな、こうやって後押しすると挑戦するんか、みたいな、子どもが伸びるパターンがいくつもわかってくる。それが本当に面白かったな」

多い時には年間14,000人もの子どもたちを迎え入れることがあるという由留木さんは、一人ひとりの特性を見極めて、ロケーションや遊び方を選ぶことができるようになったといいます。どれだけ大人びた子でも、大人に求められている像を演じることをやめて自分に戻っていくというのも、思わず納得してしまいます。

「この子は、森から入るといいなとか、あの子は畑では反応しなかったけど川に入ると、やたら目が輝くなとか。そうやって一人ひとりに合わせる感覚が養われてきたんです。それだけ、郡上のフィールドが多様であることにも気付かされました。これだけ豊富に揃っている地域は他にはないですよ」

由留木さんがよく訪れる川(郡上市明宝地区)

転機が訪れたのはこの1年。都市部の人たちに向けたツアーで一体、何が起きたのでしょうか?

「ふわぁ〜って、目の前で口から毒素が抜けていくのが見えるというか、なんていったらいいんやろな(笑)

参加者の一人は、人に管理されたり、人を管理することがストレスなんだと気付いたと教えてくれました。自分が当たり前に身を置いていた環境は、実はすごく不自然だった、そこでずっと無理をしていたんだと自覚されたみたいで、ホッとして帰らはった」

参加者からフィードバックを参考にしながら、由留木さんは郡上のどういう要素が若者たちに作用しているのかを見直しています。

「こっちは自然が土台にあるもんでさ、思い通りにはならんし、人の力ではコントロールできんやろ。それは逆に、諦めがつくということでもあるんよね」

会社にいると、仕事ができるかできないかで、その人の価値が判断されると思いがちです。対して郡上のフィールドは、そういう社会では明るみにならない、その人のあらゆる側面を映し出してくれます。自然はただ、その人がその人であることを受け止めてくれる存在なのです。

「だから都市部の若者には、たまにでいいから、こういう自然の営みに浸れる環境にきてほしいと思うんです。様々な理由で住む場所を移せない人もいるんやってこともわかってきたんで、そういう人たちにも、いつでも帰ってきたら自分に戻れる場所があるよっていう、『ただいま』、『おかえり』って迎えてあげられる場所をつくってあげたいと思ったんです」

由留木さんは、このプロジェクトの未来をこのように描きます。

「きてくれた仲間が、自分の大切な人を連れて行きたいと思える場所にしたいな。そうやって、僕の大好きな郡上を、好きと言ってくれる仲間が増えていくと思うと、とにかく嬉しい。郡上のことを大切に思える仲間が増えれば、きっと未来が見えてくる」

 

■ 消えていきそうな知恵のバトンを、必要な人に繋いでいきたい

「郡上のフィールドと自分が、彼らに必要とされているのが実感できたんです」

しみじみと呟く、由留木さん。

「今、師匠たちは寂しい思いをしているんです。山菜をとってきても面倒臭いからいらんて言われたり、スーパーの方が早いし便利といわれたりするもんで、自分たちの培ってきたものはもう誰の役にも立たないって。でも、そんなことない。これは、絶やしたらあかんことや」

そう、由留木さんが語気を強めて話すのには、理由がありました。由留木さんはたまたま里帰りをした95年に阪神大震災に遭い、様々な都市の脆さを痛感したのです。「生き方を見直さなければいけない」という危機感を払拭してくれたのが、郡上の師匠たちであり、その人たちから教わった暮らしだったのです。

「都市部の子たちは、極端にいえば自然を無視できる究極の場所で生きているんです。現代的な便利さと引き換えに失ったものを、彼・彼女らは誰よりも実感しているから、師匠たちの価値を見出してくれているんです。その二者を引き合わせることこそ、僕のできることだと確信しました」

死んでいく直前まで誰かに必要とされながら亡くなっていくというのが、郡上のじいちゃんやばあちゃんの生き様であり、自分もそう在りたいと話す由留木さん。

「プロジェクトが軌道に乗れば、師匠たちに得意なことを続けてもらえる。今の僕を育ててくれた師匠たちに恩返しできる方法が、ようやく見えたというかね。師匠たちどんどんおらんくなってるから、早めにやっていかんと」

 

■ 自然を土台に自分らしく生きていきたい人、募集中

現在、由留木さんは「おかえりツアー開発プロジェクト」を共に進めて行くパートナーを募集しています。自然を土台にしたこちらのフィールドでは、働き方も休み方も天候に左右されるので、自然のサイクルに合わせて動きを変えられる人、もしくは、そういうことを理解できる許容量のある人が求められます。

「一緒に笑ったり、一緒に喧嘩したり、とにかくいろんなことを楽しめる感性を持ってもらえるといいな。トラブルが起きても、『叱られてもうたな〜!やってみな、わからんもんやなー』って失敗を笑い飛ばせる人の方が合うと思う(笑)」

26年間郡上で“遊ぶ”も“暮らす”も精一杯やってこられた由留木さんが、満を持して旗をあげたプロジェクト。興味を持たれた方は、ぜひご応募ください。

プロジェクトの詳細はこちら:「もうひとつの帰る場所。おかえりツアー開発プロジェクト

 

PROJECT PARTNER

由留木 正之(ゆるき・まさゆき)

1967年兵庫県尼崎市生まれ。前職はバイク屋さん。1992年、旅の末に郡上八幡に移住、カフェバー&アウトドアショップの店長を務め、週末はアウトドアツアーやグランピングサービスをこなした。1995年里帰り中に阪神大震災に遭い被災。同年結婚。翌年独立し、アウトドアツアー会社アースシップ設立。1998年自然体験事業「山と川の学校」の設立に携わり年間14,000人の受け入れを行ない、事業を通じて多くの郡上移住者を呼び込んだ。現在は、(一社)明宝ツーリズムネットワーク所属。自給自足をしながら地域振興を目的とした様々なツーリズム事業を行なう。郡上カンパニーアドバイザー。

INTERVIEWER / WRITER / PHOTOGRAPHER

田中 佳奈(たなか・かな)

百穀レンズ フォトグラファー、ライター、デザイナー。 1988年徳島生まれ、京都育ちの転勤族。大学で建築学を専攻中にアジア・アフリカ地域を訪ね、土着的な暮らしを実践することに関心を持つようになる。辿り着いたのが岐阜県郡上市。2015年より同市内にある人口約250人の石徹白(いとしろ)地区に移住し、暮らしやアウトドアをテーマにしたツアー開発や、情報発信を行う。在来種の石徹白びえの栽培にも生きがいを感じる日々。2018年、独立。

 

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