地域で育(しと)ねる、明宝ジビエブランド化プロジェクト

2019年4月からスタートする、郡上カンパニーの第2期共同創業プログラム。現在8つのプロジェクトで、共同創業者を募集中です。各プロジェクトの郡上に住むプロジェクトパートナー(PJP)に順番にインタビューをしていく本連載企画。4人目は、猟師・自然体験インストラクターの元満真道(もとみつ・しんどう)さんです。


■ 「明宝ジビエブランド化プロジェクト」とは?

福岡県出身の元満真道さん(以下、しんさん)は5年前、岐阜県を周遊中に立ち寄った郡上八幡の川の美しさに、「びっくりしちゃって、大興奮」したとのこと。福岡で始めた自然体験インストラクターの勉強を、この土地でより深めるため、4年前に郡上市明宝地区に移住しました。現在は、狩猟、解体、精肉を通じた『明宝ジビエ』の発信と、主に子どもを対象とした自然体験プログラムの提供をされています。

郡上はイノシシの日本三大産地に数えられるほど、野生動物が多く狩猟が盛んな地域です。しかし、高齢化などの理由で狩猟人口が減少し、近年は野生動物が増加。それに伴い農林産物の被害も年々増えています。しんさんが移住した明宝地区では、この深刻な事態を地域の新しい可能性に転換しようと、2014年に地元有志によって『明宝ジビエ研究会』が設立され、翌2015年には解体処理施設『ジビエ工房めいほう』が開設されました。

「明宝ジビエ」は全国でも数少ないHACCP(ハサップ)という高い衛生基準を視野に入れた、安全安心なジビエ肉を提供しています。最近は、猪肉と鹿肉が50%ずつ配合された「明宝ジビエフランク」というオリジナル製品も試作していると、元満さんが嬉しそうに教えてくださいました。では、「明宝ジビエブランド化プロジェクト」はどのようなことをしていくのでしょうか?詳しく伺いました。

「ブランド化というのは、『明宝ハム』さんのように特産品ができ、加工工場ができて、人を常勤雇用できる、という状態をつくることをイメージしていますが、それだけではありません。ジビエの地域内消費を増やしたり、皮や骨など肉以外の恵みも余すことなく活用した商品を開発します」

更に、

「狩猟に関わる体験プログラムやツアーを作ったり、学校給食などを通じた食育をしたりと、ジビエの販売に限らない消費サイクルの”出口”の選択肢を充実させることで、過疎地域全体を豊かにするスケールの大きな動きにまで、『明宝ジビエ』を育てていきたいと思っています」

解体処理施設『ジビエ工房めいほう』

■ ”虚無感“と向き合うことでつかんだ、自分らしい生き方

最近まで「猟師になるなんて思ってもいなかった」というしんさん。どのような過程を経て、このプロジェクトにたどり着いたのでしょうか?

「私、小さい頃から特定の職業に憧れはなかったんです。とにかく『早く大人になりたい』という気持ちだけがあって、早く家を出て、自分で稼いで、自分でいろんなことを決断したいと思っていました。自立していたいという気持ちは、小さい頃から変わっていないかもしれません」

社会人になるとしんさんは営業会社に勤務。この仕事を通じて、売ることを徹底的に追求した結果、様々な人間関係を築くことができました。しかし、ビジネスとして人と関わることに徐々に疲れてきたと言います。

「商売だから、と互いにいいように人を利用していたなと思います。その時はそれで良かったんですけど、一方では常に“虚無感”と闘っていました。もっと自分の求めるカタチで人と関われないかと思い、居場所づくりのためにバーを経営したり、ボランティア活動をしたり、ネイチャーキャンプの企画をしていた時期もありました」

「自分に足りないものは何なのか」、「自分にできることは何だろうか」という純粋な問いを、そこに集う人たちと語り合うことで、”虚無感”の正体を探していたというしんさん。そんな問いの答えを見つけるきっかけが、まもなく訪れました。

  
■教える立場にあった私が全然わかっていなかった、命のありがたさ

キャンプ場で働きだした、しんさん。ある日、場内でイノシシが罠に掛かった時、好奇心に任せて「自分が解体したい!」と表明してしまいます。イノシシを見ることさえ初めてなのに、周囲で手伝ってくれる人もおらず、ネット動画を見ながら一人で解体する羽目になったと振り返ります。

「血みどろになりながらも6時間かけて、内臓や皮、肉を切り分けました。それをみて、『これ絶対食べないかんな』って思って、家に持って帰って食べました。初めて食べた“自然の肉”に、とにかく、『むっちゃ元気でるわ』と、感動したのを覚えています。“うまい”なのか“まずい”なのか、“嬉しい”なのか、良くわからないような感情だけど、しみじみと食べた感覚が今でも自分の中にあります」

そして、これまでの自分を振り返ったそうです。

「職場で自然体験の仕事もしていたので、人に“命のありがたさ”についても話してきたわけです。分かっていたつもりで喋っていたんですけど、全然わかっていなかったと痛感しました」

解体の現場はいわば、現代社会では見ることのなくなった命の裏側の現場。これに触れたことで、しんさんは「ちゃんと生きんと!」と思い、自分の人生でなすべきことに気づいたそうです。その命の裏側の現場を子どもたちに見せ、“命のありがたさ”を実感をもって伝えていきたいという、しんさんの挑戦が始まったのです。

「早く外してあげたい」と、鹿への思いやりを吐露するしんさん

■ ジビエに価値を。食べることでいい循環を作りたい

子どもに伝えるために知識を得ようと、狩猟免許を取得したしんさんでしたが、郡上に移住した当初もまだ猟師になるつもりはなかったそうです。そのしんさんを変えたのは、明宝の山の中でみたショッキングな光景でした。

「山に入った時に、獣の死体が山のように捨てられているのを見てしまったんです。ここで捕まえられた鹿たちは、殺されて、捨てられていく。命の重さを、身をもって感じたばかりなのに、その命が誰の気づきの材料にもならずに廃棄されているんだと思うと心が痛んで、これは本当に『命を美味しく食べてもらえる仕組みをつくらないといけない!』と思いました。自分の核心が形成された出来事でした」

ちょうどその時期に、『ジビエ工房めいほう』が完成します。しんさんはここで解体の仕事を引き受けることになり、『明宝ジビエ』の活動が始まりました。

「当時、猟師さんにとって鹿は駆除対象でしかなく、ほとんどの人が価値を感じていませんでした。一方私は、せっかくやるなら全国的にも厳しい『ぎふジビエガイドライン』やHACCPの基準を満たした最高品質の安心安全な商品をつくって食べてもらいたいと思っていましたし、いずれは雇用を作ったり、里山の環境を良くしたりと、地域にとっていい循環をつくるところまでやりたいと思っていたので、当初は摩擦もあり、大変でした」

それもそのはず。猟師さんたちが今まで慣れ親しんだ捕獲方法では、その衛生基準を満たすことはできなかったのです。

「県の基準では、心臓を止めてから1時間以内に処理を完了しなければいけません。『鹿が獲れた』と連絡が入って、『すぐ降りてきて!いつとめた?』って聞いったら、『今や』って言うけど、見たらすでに死後硬直が始まっていて、ゆうに1時間超えてるものとかあるんですよ。そういう時間感覚の違いを擦り合わせていく難しさがありました」

しんさん自身も猟師であるという立場からも、獣を生かしたまま下山することの大変さは重々理解されています。しかし、『ありがとう』といって地元猟師さんたちからの鹿を全部受け取ってたら、工房が死体廃棄所になってしまう。

しんさんは自分が困っていることを素直に猟師さんたちに伝えつつ、新しい価値観を受け入れようとしてくれている猟師さんたちの気持ちを忘れないようにしているそうです。そうして猟師さんと徐々に関係を築き、今では多くの個体が、衛生的に解体できる状態で運ばれてくるようになったと、しんさんは顔をほころばせながら話してくださいました。

しかし、これはまだ狩猟から解体までの道筋ができただけ。今後は精肉や梱包、販売営業や自然体験プログラムの提供など、他分野を充実させていくことにようやく着手できる、と意気込みます。

「捕獲から販売まで、入り口から出口までの流れが全てあることが大事なんですよ。鹿がとれたとか、美味しい肉ができた、子どもに伝えた、というような、自分だけが満足できたらいいと思える段階じゃなくなってきたんです。どの分野にも仕事があるようにして、この流れに関わってくれる皆に充足感がある環境をつくらないといけないな、と思っています」

いくつかある見回りルートのひとつを案内してくれました

■ 伝えるために、一つ一つの行程がある

猟師さんから個体を預かっては、解体する日々。時にその仕事を「平気でやっている」と思われていることに対する違和感を口にします。

「今でもまさに血の滲む思いをしながらやっているんです。夢にだって出てきます。解体というのは、命をいただくこと。自分にとっても、地域にとっても大切なことだと思うからこそできるのであって、流れ作業のようにやっているわけではありません。元々、『伝えないと』と思って始めたことなので、そこは忘れたくないです」

しんさんは、捌かれる命と対峙したときに生まれる感情を、自分自身と対話することで整理し、子どもたちに話す機会がある時には伝え方を熟考するそうです。

「泣き出す子もいますね。その気持ちもわかるんです。そこに共感しながらも、その子が感じたり考えたりするチャンスになったらいいなと思っています。時々、『インストラクターになりたい』とか『猟師になりたい』と伝えにきてくれる子がいるんです。その子なりに何かを感じてくれたんだと思うと、伝えた甲斐があったなって嬉しくなります」

しんさんの仕事は決して、狩猟や自然体験プログラムをビジネスとして成り立たせることだけではなく、現代に途切れてしまっている“命の循環”をつなぎなおすことといえるのではないでしょうか。自分がそうであったように、ひとが目の前の“生”と向き合い、自分が根ざしたい生き方を模索することを後押しできたら、というしんさんの姿勢が伝わってきました。

     
■ 一緒に山に入り、「明宝ジビエ」の未来をつくる人を募集中

現在、しんさんは「明宝ジビエブランド化プロジェクト」を進めていくパートナーを募集しています。しんさんが地域の人や猟師さんたちとの関わりの中で大事にしていることの一つが、「感じていることを素直に話す」ということ。共同創業パートナーとして応募してくださる人も、「抱え込むのではなく、なんでも気軽に相談してくれほしい」と話します。その他、パートナーとしてきてくださる人のイメージを最後にしんさんに聞いてみました。

「色々考えたんですけど、一緒に山に入ってくれる人がいいなと思います。ワクワクする事を共有できる人がいいな。昼間仕事をして、お天気が良い日は星空に癒されながら一杯飲む。そういうのがいいなって思ってくれるような人なら合うと思います。

私は都会にいたときは仕事ばかりしていたのですが、今は仕事も田舎暮らしもバランスのとれた生き方をしたいと思っていています。そういうことを思っている人もいるんじゃないかな?私といたら、遊び上手というか、暮らし上手になると思います(笑)」

ひとつ知っておいてもらいたい点がある、とハニカムしんさん。

「私、『全力感』があるんです。仕事の時はあっちもこっちも全力です。終わったら緩いんですけど(笑)疲れている時は、『今日疲れてる』って言ってくださいね」

プロジェクトの詳細はこちら:地域で育(しと)ねる、明宝ジビエブランド化プロジェクト

 

PROJECT PARTNER

元満 真道(もとみつ・しんどう)

1975年福岡県生まれ。5年前に初めて郡上を訪れ、自然の美しさに魅了されて明宝地区に移住しました。今は畑で土を触り、川の流れで遊び、山に入り山菜や猪鹿を頂き、満天の星空に癒されながら生活しています。ジビエとの関わりは、未経験でいきなりイノシシを解体してから。動画をみてナイフを握る初体験。この時に知った命のこと、“子供たちに伝えなければ”と、狩猟免許を取り解体も勉強。現在は狩猟・解体から販売までを行い、明宝ジビエの魅力を伝えるべく日々奮闘しています。そして夏には、狩猟体験を中心に自然体験プログラムを提供しています。

 

INTERVIEWER / WRITER / PHOTOGRAPHER

田中 佳奈(たなか・かな)

百穀レンズ フォトグラファー、ライター、デザイナー。 1988年徳島生まれ、京都育ちの転勤族。大学で建築学を専攻中にアジア・アフリカ地域を訪ね、土着的な暮らしを実践することに関心を持つようになる。辿り着いたのが岐阜県郡上市。2015年より同市内にある人口約250人の石徹白(いとしろ)地区に移住し、暮らしやアウトドアをテーマにしたツアー開発や、情報発信を行う。在来種の石徹白びえの栽培にも生きがいを感じる日々。2018年、独立。

 

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